昭和59年04月27日最高裁判所第二小法廷判決 民集第38巻6号698頁
(判決要旨)
相続人において相続開始の原因となる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った時から三か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかつたのが、相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、このように信ずるについて相当な理由がある場合には、民法915条1項所定の期間は、相続人が相続財産の全部若しくは一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべかりし時から起算するのが相当である。
(判決全文)
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人の上告理由について
民法915条1項本文が相続人に対し単純承認若しくは限定承認又は放棄をするについて三か月の期間(以下「熟慮期間」という。)を許与しているのは、相続人が、相続開始の原因たる事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を知った場合には、通常、右各事実を知った時から3か月以内に、調査すること等によって、相続すべき積極及び消極の財産(以下「相続財産」という。)の有無、その状況等を認識し又は認識することができ、したがって単純承認若しくは限定承認又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件が具備されるとの考えに基づいているのであるから、熟慮期間は、原則として、相続人が前記の各事実を知った時から起算すべきものであるが、相続人が、右各事実を知った場合であつても、右各事実を知った時から3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったのが、被相続人に相続財産が全く存在しないと信じたためであり、かつ、被相続人の生活歴、被相続人と相続人との間の交際状態その他諸般の状況からみて当該相続人に対し相続財産の有無の調査を期待することが著しく困難な事情があつて、相続人において右のように信ずるについて相当な理由があると認められるときには、相続人が前記の各事実を知つた時から熟慮期間を起算すべきであるとすることは相当でないものというべきであり、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきものと解するのが相当である。
これを本件についてみるに、原審が適法に確定した事実及び本件記録上明らかな事実は、次のとおりである。
1 第一審被告亡D(以下「亡D」という。)は、昭和52年7月25日、上告人との間で、Eの上告人に対する1000万円の準消費貸借契約上の債務につき、本件連帯保証契約を締結した。
2 本件の第一審裁判所は、昭和55年2月22日、上告人が亡Dに対して本件連帯保証債務の履行を求める本訴請求を全部認容する旨の判決を言い渡したが、亡Dが右判決正本の送達前の同年3月5日に死亡したため、本件訴訟手続は中断した。
そこで、上告代理人が同年7月28日に受継の申立をしたが、第一審裁判所は、昭和56年2月9日亡Dの相続人である被上告人らにつき本件訴訟手続の受継決定をしたうえ、被上告人B1に対して同年2月12日に、被上告人B2に対して同月13日に、被上告人B3に対して同年3月2日に、それぞれ右受継申立書及び受継決定正本とともに第一審判決正本を送達した。
もっとも、被上告人B3は、同年2月14日に被上告人B2から右送達の事実を知らされていた。
3 ところで、亡Dの一家は、同人が定職に就かずにギャンブルに熱中し家庭内のいさかいが絶えなかつたため、昭和41年春に被上告人B1が家出し、昭和42年秋には亡Dの妻が被上告人B2、同B3を連れて家出して、以後は被上告人らと亡Dとの間に親子間の交渉が全く途絶え、約10年間も経過したのちに本件連帯保証契約が締結された。
その後、亡Dは、生活保護を受けながら独身で生活していたが、本件訴訟が第一審に係属中の昭和54年夏、医療扶助を受けて病院に入院し、昭和55年3月5日病院で死亡した。
被上告人B1は、同人の死に立ち会い、また、被上告人B2、同B3も右同日あるいはその翌日に亡Dの死亡を知らされた。しか
し、被上告人B1は、民生委員から亡Dの入院を知らされ、3回ほど亡Dを見舞つたが、その際、同人からその資産や負債について説明を受けたことがなく、本件訴訟が係属していることも知らされないでいた。当時、亡Dには相続すべき積極財産が全くなく、亡Dの葬儀も行われず、遺骨は寺に預けられた事情にあり、被上告人らは、亡Dが本件連帯保証債務を負担していることを知らなかつたため、相続に関しなんらかの手続をとる必要があることなど全く念頭になかつた。
ところが、被上告人らは、その後約1年を経過したのちに、前記のとおり、第一審判決正本の送達を受けて初めて本件連帯保証債務の存在を知つた。
4 そこで、被上告人らは、第一審判決に対して控訴の申立をする一方、昭和56年2月26日大阪家庭裁判所に相続放棄の申述をし、同年4月17日同裁判所これを受理した。
右事実関係のもとにおいては、被上告人らは、亡Dの死亡の事実及びこれにより自己が相続人となつた事実を知つた当時、亡Dの相続財産が全く存在しないと信じ、そのために右各事実を知つた時から起算して3か月以内に限定承認又は相続放棄をしなかったものであり、しかも被上告人らが本件第一審判決正本の送達を受けて本件連帯保証債務の存在を知るまでの間、これを認識することが著しく困難であつて、相続財産が全く存在しないと信ずるについて相当な理由があると認められるから、民法915条1項本文の熟慮期間は、被上告人らが本件連帯保証債務の存在を認識した昭和56年2月12日ないし同月14日から起算されるものと解すべきであり、したがつて、被上告人らが同月26日にした本件相続放棄の申述は熟慮期間内に適法にされたものであつて、これに基づく申述受理もまた適法なものというべきである。
それゆえ、被上告人らは、本件連帯保証債務を承継していないことに帰するから、上告人の本訴請求は理由がないといわなければならない。
そうすると、原審が、民法915五条1項の規定に基づき自己のために相続の開始があつたことを知つたというためには、相続すべき積極又は消極財産の全部あるいは一部の存在を認識することを要すると判断した点には、法令の解釈を誤つた違法があるものというべきであるが、被上告人らの本件相続放棄の申述が熟慮期間内に適法にされたものであるとして上告人の本訴請求を棄却したのは、結論において正当であり、論旨は、結局、原判決の結論に影響を及ぼさない部分を論難するものであって、採用することができない。
よって、民訴法401条、95条、89条に従い、裁判官宮崎梧一の反対意見があるほか、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
裁判官宮崎梧一の反対意見は、次のとおりである。
私は、上告理由につき多数意見と見解を異にし、論旨を採用して原判決を破棄し、上告人の本訴請求を認容すべきものと考える。
その理由は、次のとおりである。
民法915条1項所定の「自己のために相続の開始があつたことを知った時」とは、相続人が相続の原因事実及びこれにより自己が法律上相続人となった事実を覚知した時をいうものと解するのが相当であり(大審院大正15年(ク)第721号同年8月3日第2民事部決定・民集5巻10号679頁参照)、相続人において相続財産を認識したかどうかは、熟慮期間の起算点に影響を及ぼさないというべきである。
原判決は、熟慮期間につき、相続人が、前記各事実を覚知しただけでは足りず、相続財産の全部又は一部の存在をも認識した時から起算すべきであるとするが、法は、熟慮期間については、相続人が相続について単純若しくは限定の承認又は放棄のいずれを選択すべきかの決定をするため相続財産の有無・内容を調査すべきものとして(民法915条2項)ひとまず3か月の期間を定め、3か月の期間内に右の決定をすることについて困難な事情がある場合に備えて期間伸長の途を開き(同条1項但書)、かくして相続財産調査のために十分ゆとりある期間を用意した上、その期間内に調査を終えて前記の選択権を行使するよう要求していることが明らか
であるから、相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時から右期間を起算すべきであると解する余地はない。
多数意見は、相続人において相続財産が全く存在しないと誤信したために熟慮期間を徒過し、かつ、その誤信について相当な理由があると認められるときには、熟慮期間は相続人が相続財産の全部又は一部の存在を認識した時又は通常これを認識しうべき時から起算すべきであるというのであるが、法はそのような例外を規定していないし、却つて、明治23年法律第98号のいわゆる旧民法中財産取得編324条1項4号が現行民法に継受されなかった立法の経緯に徴すると、法は、意識的に右のような例外を認めないこととしたことが明らかであるから、右のような例外を認める多数意見は、法解釈の域から立法論に踏み込んだものといわなければならない。
相続の承認及び放棄の制度は、直接的には、相続人の立場を重んじその保護を図るためのものというべきであるが、他面において、相続債権者等への配慮、すなわち相続における権利関係をなるべく早く確定させようとの狙いもあるのであって、熟慮期間は、右の権利関係を確定させる基準となるものであるから、その起算点が多数意見のいうような相続人の相続財産についての認識及びその相当性というような事情に影響されると解するのは、著しく法的安定性を害するものであり、そのような事情について関知しない相続債権者等に対し不測の損害を与えるおそれがある。
のみならず、今後、熟慮期間徒過後も例外的に限定承認又は放棄ができるとされる場合の右の相当性があるかどうかの点をめぐって、相続人と相続債権者等の間における解釈の対立から無用の紛争を引き起こすおそれもある。
また、多数意見は、相続人において相続財産が全く存在しないと誤信し、かつ、そのように誤信したことについて相当な理由があるときは、単純承認若しくは限定承認又は放棄のいずれかを選択すべき前提条件を欠くとするものと解されるのであるが(その文脈上、かように解せざるをえない。)、その趣旨が、そのような場合には右の選択をする期待可能性がないことを理由とするものであるとすれば、相続財産が全く存在しないと誤信した場合に限られないというべきであって、相続財産の一部を認識しただけでその余は存在しないと誤信したため、あえて前記の選択権を行使しなかつた場合にも、選択すべき前提条件を欠くというべき
であり、両者を区別すべき合理的理由はないと思われるが、かくては、結局、熟慮期間は具体的な相続財産の存在を認識した時から起算すべきであるということに帰し、前記のとおり、法の趣旨に反することになることが明らかである。
民法は、単純承認を相続の原則的形態とみて、相続人が熟慮期間内に限定承認も放棄もしないときは、原則に従つて、単純承認をしたものとみなす旨規定しているが、同趣旨の規定は、明治31年法律第9号のいわゆる明治民法の実施以来、強行法規たる国法
として本件相続開始時までに実に80余年の長きにわたって施行されてきたのである。
しかも、昭和22年にいわゆる新民法として改正されたのちの相続の規定は簡潔となり、その知識も相当普及するに至つたことは諸子均分相続制に対する国民の対応ぶりによっても知りうるところであるから、原判決のいうように、相続人が被相続人死亡当時積極・消極の遺産が全く存在していないと認識している場合には、通常一般人としてはおよそ遺産相続ということは起こりえないと考えるのが普通であつて、たとえ第一順位の相続人が被相続人死亡の事実を知っていたとしても、右のような場合にわざわざ相続の承認、放棄に関する手続をしないのが通常である、などと法の不遵守を弁護することは、相当でない。
被相続人が積極・消極とも一切の遺産を有しないという場合は極めて稀有のことであるから、そのような例外の場合であると誤信している相続人に対し、限定承認又は放棄の手続をとるべきことを要求しても、著しく不合理であるとは到底考えられないのである。
叙上の見地に立って本件をみると、原審の適法に確定した事実関係のもとにおいては、被上告人らの本件相続放棄の申述は、熟慮期間の経過後にされたものであり、その効力を生ずるに由ないものであって、上告人の本訴請求は理由があるというべきであるから、原審が、これと異なる見解のもとに、本件相続放棄の申述は熟慮期間内に適法にされた有効なものであるとして上告人の本訴請求を棄却したのは、法令の解釈適用を誤った違法があり、右違法が原判決の結論に影響を及ぼすことは明らかである。
したがって、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れず、前記のとお上告人の本訴請求を認容し、被上告人らの控訴を棄却すべきである。